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the Star Festival

だれしも、自分が死んだらどうなるのかななんて考えたことは一度はあると思う。 それがエゴだとしても、やっぱりだれかが悲しんで泣いてくれたり、自分との記憶を思い起こして、大切に想ってくれたら、なんて考える。 『トリコロール白の愛』みたいに、「死んだ」って本気で嘘をついたら今どうなるんだろうな〜なんてものすごく真剣に考えたこともある。 さすがに行動にうつしてはいないけれど。(でもちょっとやってみたい気持ちはいまもちょっとあるかも) 今年、昔の知人が亡くなった。自殺だった。 久しぶりに会うひとたちと、隠しきれないやるせない気持ちをにじませながら他愛もない話をした。 葬儀が始まって、流れ始めた電子音楽と会場の空気のそぐわなさに不思議な感覚を抱いていたら、ご遺族の方からその人がつくった曲だという言葉があって、なんだか一瞬ほっとしてしまった。 ほっとしたという言葉は適切ではないのかな。 ただその人が生きていた時間が、そんな光景が、一瞬その場で浮かんで形作られて、そんな風だったか理解するほど近い関係ではないけれど、ああよかったなって思った。 自分が死んだ後、特別だれかに悲しんでほしいとかもないし、すぐ忘れ去られても構わないと今は思ってるけれど(いざとなったら真逆のこと言いそうだけど...)、その人が生んだものが、その人がいない場所でもつなげてくれるっていいな。 カレンダーアプリから、七夕の祖父の誕生日の通知がきて、 生きてたら86歳か〜なんてちょっとセンチメンタルになったりして、書きました。 AIで死んだ人と話せるようになったらいいな。 七夕は星が見えたらいいな。 七夕って英語で"the Star ...
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すすめる愛。

気になった本を買いたいという衝動は日々起きても全部購入していたら生活していけないので、もともと買おうと決めていたもの以外は図書館で探してみることが多い。 特に本屋で新作のコーナーを見ているとアドレナリンが出て大変なことになるし、人の評価や口コミに惑わされたくない、のっかりたくないという捻くれた性格なのもあり、とりあえず予約だけして大量の数の順番待ちをして忘れたころに読んだりすることが多いのだけど、それは「今この本を読め」というお告げっぽくてちょっと楽しかったりもする。 図書館から順番が来たというメールが入った。『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』だった。 『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』 すごかった。もっとふざけた本だと思ってたのに、超大作ノンフィクション!著者の花田菜々子さん自身の人生が蘇生していく過程に、その飾らない、柔らかくも強さのある文体にやられてしまった。 まだそこに載せられた本は読んでいないけれど、この本で人に本をすすめる過程を読んだだけで自分が悩んでることとか、いろんなことが解かれるような感覚があった。 そのひとつを挙げると、近年、生ぬるい世間話にうずうず(というかぞわぞわ?)することにそして周囲の人がそうならないことに気づく場面が多く、とはいえ面白いと思わないものを面白いと思うようになるのは難しくて、ある種の職業病ってことで諦めていたんだけど、 花田さんが苦手に思った人のエピソードや、人と話すことへの変化を読んで、こう思ってる人もやっぱりいて、それって悪くない、楽しいことなんだなと花田さんから見える世界を通じて勇気付けられた。これはほんの一部で、なにかに閉塞感を感じているひとはとにかく読んでみてほしい! 読み終わって、人になにかをすすめたり、すすめられたりする機会ってとても多いけどそれを届けたり受けとったりって実はすごく難しいということを改めて振り返った。 信頼してて、自分のことを理解してくれているからこそすすめてくれていることはわかっていても、そのときの自分や、自分とその相手の関係性で手がのびなかったり、余計なお世話みたいに思えて受け流したりすることもある。 逆に私がその人のことを想ってなにかをすすめて実際に読んだり観てくれたりしたらすごく嬉しいけど、そうしてくれないと勝手だけどちょっとムカついてしまったり。 でもあとから、その作品、いや、その作品を通じてその人自身に向き合うことができたときに、新たな発見があって、その人が自分のことをどう想っていてくれたかということ自体にも出会えたりする。 最後に花田さんが書いていたけれど、自分が撮ったもの、書いたもの、小さくても大きくても、それがそんな媒介する存在として生きていたらそれってすごいことだな。 Sufjan Stevensの"Carrie & ...
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英語の自分、日本語の自分

元セクシーチョコレートでタレントのREINAがゲスト回のバイリンガルニュースで、言語による人格の変化の話題が出ていた。 私にとってはすごくタイムリーな話題だった。   最近英語で話す機会がすごく増えた。   映画や海外ドラマ、そして最近どはまりしているバイリンガルニュースや、時々勉強しているForestやDuolingo等々、英語に触れている時間は比較的多いため英語のノリは掴んでいるからか「どこか留学でもしたの?」と聞かれるほどには話せるけど、ディープな会話になると単語が出てこなくてiphoneやGoogle、Weblioに助けてもらいつつ頑張って話している。   英語を話すのはとても楽しいし、もっとしゃべれるようになりたいと思っているからまったく苦ではないし、 これまで海外を旅したときにいろんな人に助けてもらったことがたくさんあったから、日本にわざわざ来てくれた人に一時的でも楽しい時間を過ごしてほしいなという思いもある。   「日本に来たら日本語で話す努力をしろ」とかいう人もいるけど、私はそんなことどうでもよくって、 むしろ英語でしゃべりかけられてるのに日本語で返す人の多さに、3年後のオリンピック大丈夫?って思っている。 切符が買えない外国人に対して、駅員が表情を変えず日本語で返している光景を見たときにはさすがにひいた。   英語で話せば、普段出せないくらい明るくわいわいできたり、ちょっと洒落っ気出せたり、気軽にジョークを言えたりするのに、日本語に戻った途端なに話せばいいかわからなくなったりするときがある。 不思議。   英語で話すときはとにかく話すことに夢中で脳みそ使いまくってるからなのか。 それとも日本語は敬語とか、ニュアンスに気を遣っているからなのか。   最近は英語での人格の自分のほうが好きだなと思っていて、だったら日本後ver.の自分も英語版にアップデートさせればいいんじゃないかと思って少しずつ試してみているんだけど、どうもうまくいかない。   頑張らなくてもしゃべれるくらいの英語力を身につけたら、どんな人格になるんだろう。   CIA、FBIに内定、ハーバード大学院卒、クリントン事務所でインターン、ロイター通信で勤務等々、同い年でものすごい経歴を持ったREINAを、存在は知りつつも漫才もトークもほとんど見たことがなかったんだけど、バイリンガルニュースで一気に好きになった! 声が色気があって癒されたし、すごくはっきり自分の考え方を持っていて、でもそれを押し付けている感じも全然なくて。 ブログが日本語、英語で書かれていて勉強になるので興味ある方はぜひ〜 REINA Official Blog by ...
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友だちについて⑤

今日は祖母の誕生日。去年の5月に祖母はあの世へ旅立った。 祖父も、もう6年前に他界したけれど、重度のおじいちゃんおばあちゃん子だったわたしは 自分の一部を喪失したようだった。 記帳係だったので、参列者それぞれに挨拶をした。 そのとき来ていたのは近所の人とか、親戚がほとんどだった。 祖父のときもそうだったけれど、老齢になってくると友だちってあんまりいないもんなんだなって思った。 すでにこの世にいない人もたくさんいるだろう。 それにしても一緒に暮らしていてもゴルフとか、年に一度か二度ある集まりのほかに友だちと会っているような場面が思い出せなかった。 でもそれが人望がないとか、哀れだとかそんなふうに思ったわけではない。 祖父母はそれぞれがかけがえのない親友であるようにわたしには見えていたから。 もちろんわたしの知らないいろんなことがあっただろうけど、少なくとも私が生まれてから見てきた祖父母はそう見えた。 『大人の友情』の中にも、夫婦に関するエピソードがいくつかある。 「茶呑み友達」というお話の中で、 確かに「愛」の物語には劇的なものが多い。相手のためにはどんな犠牲も惜しまない。財産や地位や名誉を投げ棄てる。時には命さえ惜しまない。相手がどれほどのものを捧げてくれるかによって、愛の程度が測られるとも言える。そしてこのような激しい愛は、恋愛の場合、特によく生じてくる。しかし、既に述べたように、このような激しい愛は長続きがしなかたり、案外なところで、もろさを露呈したりする。 それに比して、共にお茶を飲む、お喋りをする、共に仕事をするなどのことは、互いにそれほどの愛を感じていなくともすることは多い。しかし、そのような日常行為の中に積み重ねてゆかれた愛は、激しくはなくとも、深く強いのではなかろうか。   「境界を超える友情」の中では 夫婦の絆にはいろいろなものがある。しかし、それらのなかの重要なものとして、友情ということがあると思う。そしてそれは共に人生を戦い抜いてきた「戦友」として感じられることもあるだろう。   結婚したこともないやつがなにわかったようにって思う人もいるだろうし、実際結婚なんてことは私にはちんぷんかんぷんだけど、 一番側にいる人が、こんなふうに感じられたらきっと幸せだろうなーと思う。 その一方で自分が結婚しなかったり、結婚したとしてもうまくいかなかったりしたとき、自分にとって「友だち」という存在とどう付き合い、位置付けていくんだろうと自分のお葬式の場面を想像するとなんだか一抹の不安も感じるけど、汗 「大人の友情」とはなんなのか、考え続けながら人との出会いや別れを経験していきたいなと思う。 この本の最後で 友情とはなんぞやと訊かれると、今でもはっきりとは答えられない感じがするが、あらゆる人間関係の基盤としてそれはあり、人間の生き方を豊かにしてくれるもの、と言うことができるであろう。 科学技術が発展し、われわれは極めて快適で便利な生活をしているが、下手をすると、何でも自分の思いのままに支配し、操作できると錯覚し、その結果、大変な孤独や閉塞感などに悩まされることになる。 ぎすぎすした人間関係に潤いを与えてくれる友情ということが、現在において極めて重要になってくるのも当然である。そして、友と友を結ぶ存在としての「たましい」などということに、少しでも想いを致すことによって、現代人の生活はもっと豊かで、幸福なものとなるのではなかろうか。   河合隼雄先生の言葉は、とてもやさしくあたたかくて押し付けがましくないのに、鋭い眼差しにはっとさせられる。 もしご存命でいらっしゃったら、なんとしてでも一度河合隼雄先生とお会いして話してみたかったな。 落ち込んだり、人生に挫折したり、人間不信になったり、、 とにかくどんな状態にも効果テキメンなので、ぜひたくさんある著作の中から自分にぴったりの一冊を探してみてください。   というわけで最初の自分自身が発した問いに回答が出せたのかは微妙なところですが、あんまり無理せず、大事な友人と無駄なことを一緒にしながら、互いに支え合い、人生を共有していけたらいいなと思います。 というわけで更新も内容も散漫としてしまいましたが、長らく続いた『友だちについて』シリーズ全5回はこれにて完結! ここまで読んでくださり、ありがとうございましたー!!   追伸、なんだかブログむちゃくちゃ重いですね。ごめんなさい。 サーバー容量あげるべきなのか、、それともわたしの設定のなにかがおかしいのか、、   ...
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映画オールタイムベストテン

今日下北沢のB&Bという本屋さんで開催された 「あなたらしい映画の見方をさぐる三宅塾」に参加してきました。 スクリプトドクター、脚本家で『スクリプトドクターの脚本教室』の著書である 三宅隆太さんの新刊『これ、なんで劇場公開しなかったんですか?』刊行記念のイベント。 Amazon『これ、なんで劇場公開しなかったんですか?: スクリプトドクターが教える未公開映画の愉しみ方』 映画美学校時代に三宅さんは脚本コースで講師をしていらっしゃってときどきロビーでお話ししていたりしていたのですが、『ヴェルニ』の脚本の改稿でどうにもこうにもいかなくなったときに、フィクションコースだったわたしは直接の生徒でなかったにも関わらずご相談に乗っていただいたことがありました。 自分の内面に迫っていく道筋で泣きそうになるほど胸が震えたり、逆にちょっと苦しくもなったり、お話の内容もだけどその濃密な空間は今でも強く印象に残っています。 最近なかなか改稿に手がつけられなくてどうにかしたい!と思って読んだ『スクリプトドクターの脚本教室』。 シド・フィールドとかいろんな脚本術の本を読んでもすっきりしなかったことが、まさにこの本に書かれていた、、!(気になる人はぜひご購入を!) 三宅さんのお話を久しぶりにお聞きしたいなと思って直近にあったのが今回のイベント。 「映画の見方」なんて自由でしょ?って思うかもしれないけれど、「正しい映画の見方」的なマニュアル論ではなく、それぞれの映画の意図を汲めてるかという視点からのまったく押し付けがましくない、むしろ自分の内面に問いかけるようなお話。 たとえば最近観た『La La Land』にまったくノレなかったり、逆に自分がもう死ぬほど好き!っていう映画をあっさり一言で全否定されてしまったり、たまらなく感動したんだけれど、どこにそんなに自分が感動したのかがわからなかったり… 改めて考えてなかったけど、「映画の見方」について問われる場面って日々遭遇しているなー。 「自分は何故、あの映画が好きなのか?」 自分の感じ方に正直になりながら向き合うための方法として三宅さんが提案していたのが 「映画オールタイムベスト10」 を書いてみること。 ピックアップのポイントは 「無人島に持っていくならどれ?」 無人島に行ったら、もちろんスクリーンもPCも電気もない! それでもそばにあれば幸せ!そんな10本。 そこで自分なりに考えてみました。大好きな作品は数え切れないくらいたくさんある。 でも自分の人生になくてはならない映画、愛してやまない映画はなんだろう。 思い直して変更するかもしれないけれど、今思うのはこの10本! ジャージャンッ! 1. 『トリコロール 青の愛』 (Trois Couleurs: Bleu)/監督:クシシュトフ・キェシロフスキ(Krzysztof Kieślowski) 2. 『奇跡の海』 (Breaking the Waves)/監督:ラース・フォン・トリアー(Lars von Trier) 3. 『ベティの小さな秘密』 (Je M'appelle Elisabeth)/監督:ジャン=ピエール・アメリス(Jean-Pierre Ameris) 4. 『アデル、ブルーは熱い色』 ( La vie d'Adèle – Chapitres 1 et 2)/監督:アブデラティフ・ケシシュ(Abdellatif Kechiche) 5. 『ポンヌフの恋人』 (Les Amants ...
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