午後の網目

『はちどり』(監督:キム・ボラ)の前編、『リコーダーのテスト』が観たくて登録したMUBI
『リコーダーのテスト』を観終わり(素晴らしかった!)無料期間はまだ残っているので、なにか観ようと思ってもなんせ短編から長編まであらゆるジャンルの映画が、しかも英語で並んでいるのでなにを観ようかしばらく迷い、最終的にサムネイルで決めた。

それが『午後の網目』”MESHES OF THE AFTERNOON”(監督:マヤ・デレン)だった。

 

 

 

デレン演じる女性が恋人の家で彼の到着を待つ間に束の間の眠りに落ちる。夢は彼女が恋人の家に鍵を開けて入るという一連の行動を3回、しかしどれもが微妙に変化しながら繰り返される。繰り返される度に彼女は分裂し、分身たちは自分自身を殺害することを決めるのだが…。 1947年カンヌ映画祭実験部門グランプリ受賞。

武蔵野美術大学 IMAGE LIBRARY より

 

 

 

 

影と花。鍵とレコード。
夢の中の混沌が在った。
ブチッと脈略のないものへ移っていく、そのある種の乱暴さや、
目的地もなく彷徨い、見たこともないおそろしいものと対峙する恐怖と快楽がひろがっていく。

マヤ・デレンについて。Wikipediaより。

マヤ・デレン(Maya Deren、本名Eleanora Derenkowsky 1917年4月29日1961年10月13日)は、1940年代から1950年代のアメリカの前衛映画作家であり実験映画家。また振付師、舞踊家、詩人、作家、写真家でもある。

1917年にウクライナキエフで生まれ、1922年に一家はアメリカ合衆国ニューヨーク州シラキュースに移住した。父親の姓はDerenkowskyであったがこのときにDerenと短く改姓した。1928年にアメリカ合衆国に帰化した。1930年から1933年までスイスジュネーヴにある国際連盟の学校に通った。

その後シラキューズ大学に進学し18歳の時に結婚した。ニューヨーク大学を卒業し1939年に離婚した。スミス大学で修士号を取得後、ニューヨーク州グリニッジ・ヴィレッジに戻り編集助手やフリーランスの写真家として活動した。

1942年チェコからの亡命中の映像作家、アレクサンドル・ハッケンシュミードと出会い結婚。翌年の1943年、マヤが26歳の時に二人の共同で映画『午後の網目』を制作する。この作品は1947年のカンヌ国際映画祭で実験部門のグランプリを獲得する。この年、ハッケンシュミードと離婚。

1960年、彼女の映画のスコアを担当していた日本人作曲家、伊藤貞司と三度目の結婚。

1961年栄養失調から来る脳内出血のため44歳で亡くなった。死の間際、アンフェタミン睡眠薬を彼女は常用していた。彼女の遺灰日本富士山に散灰された。

1986年にアメリカ映画協会によってマヤ・デレン賞が設立された。

 

激動の人生……。

気持ち悪くてぞくぞくするいい音楽だな〜と思っていたら、後の夫になる伊藤貞司氏によるものだった。
全編サイレントで台詞もないこの作品をカオスに導いているのは、和楽器が使用されたこの音楽に依る部分がすごく大きいように思う。

映画的ってきっとこういう作品のことを言うんだろう。
思考に潜ってその果てのない世界を探究することができる手法が、映画でもあるんだと思える、いい作品だった。

15分で字幕もないから観やすいし、検索したらYouTubeにもありそうなので気になったらぜひ。

 

今日夢に見そうでこわいな。

 

おわり。

 

 

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