3月 2017

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友だちについて⑤

今日は祖母の誕生日。去年の5月に祖母はあの世へ旅立った。 祖父も、もう6年前に他界したけれど、重度のおじいちゃんおばあちゃん子だったわたしは 自分の一部を喪失したようだった。 記帳係だったので、参列者それぞれに挨拶をした。 そのとき来ていたのは近所の人とか、親戚がほとんどだった。 祖父のときもそうだったけれど、老齢になってくると友だちってあんまりいないもんなんだなって思った。 すでにこの世にいない人もたくさんいるだろう。 それにしても一緒に暮らしていてもゴルフとか、年に一度か二度ある集まりのほかに友だちと会っているような場面が思い出せなかった。 でもそれが人望がないとか、哀れだとかそんなふうに思ったわけではない。 祖父母はそれぞれがかけがえのない親友であるようにわたしには見えていたから。 もちろんわたしの知らないいろんなことがあっただろうけど、少なくとも私が生まれてから見てきた祖父母はそう見えた。 『大人の友情』の中にも、夫婦に関するエピソードがいくつかある。 「茶呑み友達」というお話の中で、 確かに「愛」の物語には劇的なものが多い。相手のためにはどんな犠牲も惜しまない。財産や地位や名誉を投げ棄てる。時には命さえ惜しまない。相手がどれほどのものを捧げてくれるかによって、愛の程度が測られるとも言える。そしてこのような激しい愛は、恋愛の場合、特によく生じてくる。しかし、既に述べたように、このような激しい愛は長続きがしなかたり、案外なところで、もろさを露呈したりする。 それに比して、共にお茶を飲む、お喋りをする、共に仕事をするなどのことは、互いにそれほどの愛を感じていなくともすることは多い。しかし、そのような日常行為の中に積み重ねてゆかれた愛は、激しくはなくとも、深く強いのではなかろうか。   「境界を超える友情」の中では 夫婦の絆にはいろいろなものがある。しかし、それらのなかの重要なものとして、友情ということがあると思う。そしてそれは共に人生を戦い抜いてきた「戦友」として感じられることもあるだろう。   結婚したこともないやつがなにわかったようにって思う人もいるだろうし、実際結婚なんてことは私にはちんぷんかんぷんだけど、 一番側にいる人が、こんなふうに感じられたらきっと幸せだろうなーと思う。 その一方で自分が結婚しなかったり、結婚したとしてもうまくいかなかったりしたとき、自分にとって「友だち」という存在とどう付き合い、位置付けていくんだろうと自分のお葬式の場面を想像するとなんだか一抹の不安も感じるけど、汗 「大人の友情」とはなんなのか、考え続けながら人との出会いや別れを経験していきたいなと思う。 この本の最後で 友情とはなんぞやと訊かれると、今でもはっきりとは答えられない感じがするが、あらゆる人間関係の基盤としてそれはあり、人間の生き方を豊かにしてくれるもの、と言うことができるであろう。 科学技術が発展し、われわれは極めて快適で便利な生活をしているが、下手をすると、何でも自分の思いのままに支配し、操作できると錯覚し、その結果、大変な孤独や閉塞感などに悩まされることになる。 ぎすぎすした人間関係に潤いを与えてくれる友情ということが、現在において極めて重要になってくるのも当然である。そして、友と友を結ぶ存在としての「たましい」などということに、少しでも想いを致すことによって、現代人の生活はもっと豊かで、幸福なものとなるのではなかろうか。   河合隼雄先生の言葉は、とてもやさしくあたたかくて押し付けがましくないのに、鋭い眼差しにはっとさせられる。 もしご存命でいらっしゃったら、なんとしてでも一度河合隼雄先生とお会いして話してみたかったな。 落ち込んだり、人生に挫折したり、人間不信になったり、、 とにかくどんな状態にも効果テキメンなので、ぜひたくさんある著作の中から自分にぴったりの一冊を探してみてください。   というわけで最初の自分自身が発した問いに回答が出せたのかは微妙なところですが、あんまり無理せず、大事な友人と無駄なことを一緒にしながら、互いに支え合い、人生を共有していけたらいいなと思います。 というわけで更新も内容も散漫としてしまいましたが、長らく続いた『友だちについて』シリーズ全5回はこれにて完結! ここまで読んでくださり、ありがとうございましたー!!   追伸、なんだかブログむちゃくちゃ重いですね。ごめんなさい。 サーバー容量あげるべきなのか、、それともわたしの設定のなにかがおかしいのか、、   ...
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映画オールタイムベストテン

今日下北沢のB&Bという本屋さんで開催された 「あなたらしい映画の見方をさぐる三宅塾」に参加してきました。 スクリプトドクター、脚本家で『スクリプトドクターの脚本教室』の著書である 三宅隆太さんの新刊『これ、なんで劇場公開しなかったんですか?』刊行記念のイベント。 Amazon『これ、なんで劇場公開しなかったんですか?: スクリプトドクターが教える未公開映画の愉しみ方』 映画美学校時代に三宅さんは脚本コースで講師をしていらっしゃってときどきロビーでお話ししていたりしていたのですが、『ヴェルニ』の脚本の改稿でどうにもこうにもいかなくなったときに、フィクションコースだったわたしは直接の生徒でなかったにも関わらずご相談に乗っていただいたことがありました。 自分の内面に迫っていく道筋で泣きそうになるほど胸が震えたり、逆にちょっと苦しくもなったり、お話の内容もだけどその濃密な空間は今でも強く印象に残っています。 最近なかなか改稿に手がつけられなくてどうにかしたい!と思って読んだ『スクリプトドクターの脚本教室』。 シド・フィールドとかいろんな脚本術の本を読んでもすっきりしなかったことが、まさにこの本に書かれていた、、!(気になる人はぜひご購入を!) 三宅さんのお話を久しぶりにお聞きしたいなと思って直近にあったのが今回のイベント。 「映画の見方」なんて自由でしょ?って思うかもしれないけれど、「正しい映画の見方」的なマニュアル論ではなく、それぞれの映画の意図を汲めてるかという視点からのまったく押し付けがましくない、むしろ自分の内面に問いかけるようなお話。 たとえば最近観た『La La Land』にまったくノレなかったり、逆に自分がもう死ぬほど好き!っていう映画をあっさり一言で全否定されてしまったり、たまらなく感動したんだけれど、どこにそんなに自分が感動したのかがわからなかったり… 改めて考えてなかったけど、「映画の見方」について問われる場面って日々遭遇しているなー。 「自分は何故、あの映画が好きなのか?」 自分の感じ方に正直になりながら向き合うための方法として三宅さんが提案していたのが 「映画オールタイムベスト10」 を書いてみること。 ピックアップのポイントは 「無人島に持っていくならどれ?」 無人島に行ったら、もちろんスクリーンもPCも電気もない! それでもそばにあれば幸せ!そんな10本。 そこで自分なりに考えてみました。大好きな作品は数え切れないくらいたくさんある。 でも自分の人生になくてはならない映画、愛してやまない映画はなんだろう。 思い直して変更するかもしれないけれど、今思うのはこの10本! ジャージャンッ! 1. 『トリコロール 青の愛』 (Trois Couleurs: Bleu)/監督:クシシュトフ・キェシロフスキ(Krzysztof Kieślowski) 2. 『奇跡の海』 (Breaking the Waves)/監督:ラース・フォン・トリアー(Lars von Trier) 3. 『ベティの小さな秘密』 (Je M'appelle Elisabeth)/監督:ジャン=ピエール・アメリス(Jean-Pierre Ameris) 4. 『アデル、ブルーは熱い色』 ( La vie d'Adèle – Chapitres 1 et 2)/監督:アブデラティフ・ケシシュ(Abdellatif Kechiche) 5. 『ポンヌフの恋人』 (Les Amants ...
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友だちについて④

数年前に、結婚した友人と話していたときに、 「私にはスピーチ頼むなら絶対この人!って思い浮かばないなー」って言ったときに 「うちもそんなもんだったよー」って答えが返ってきた。 結婚式ではもらい涙必至な感動のスピーチだったんだけど、後から聞いてみると、一番長い付き合いではあるし親友だけど、大人になると合わないところも大きく出てきて、なんでも言い合うという関係ではないらしい。 大人ってむずかしい。 大人になっても「親友がいる」って疑いもなく言える人ってどのくらいいるのかな。 親友ってなんだろう、と考えたとき、わたしがぱっと思い浮かべるのは 海外ドラマの『FRIENDS』と『SEX and the CITY』のイメージです。 Cosmopolitan.uk By Claire Hodgson HBO Sex and the City Episodes 今さらSATC? FRIENDS!?って思うかもしれないけど、いろんな海外ドラマに手を出しても、何度でも繰り返し観てしまうのはこの2作品だけ。 全シーズン10回以上観てもまったく飽きず、きっとこれからも何度となく観続けるんだろう。 ひとりでごはんを食べるとき、疲れ果てて落ち込んでいるとき、映画やテレビなんて観れないようなときだって あたりまえに再生ボタンを押してしまう。 再生デッキの横に鎮座しているボックスはまるで家族の一員のような温もりすら感じる存在感。 『FRIENDS』は1993-2004(Season 1-10) 『SEX and the CITY』が1998-2004 (Season 1-6, Movie 1-2) と同時期のドラマ。 海外も日本も90年代って本当にドラマの黄金期、、、!! どちらも本当に素晴らしい作品だけど、なぜこの作品がここまで憧れをもたれたのかって、恋愛やキャリア、ニューヨークでの華やかな生活はもちろんあるけど、一番はその「友情」なんじゃないかと思っている。 毎日のように会ったり連絡とるのは当たり前。 夕食はもちろん、朝食、ランチ、買い物……当たり前に一緒に行動して、約束なんかしてなくてもそれぞれの家に行って一緒にテレビを見たり、馴染みのカフェでだべったりする。 疑問が湧いたり、幽霊が見えたり、寂しいと思ったら深夜であろうと電話しちゃったり、そんなとき友だちがタクシーで家にかけつけてくれたりする。 うっ………うらやましい……!!!! 大人になると、気軽に会おうって言えなかったり、寂しくて話したい夜も電話するのは憚られたり、 わたしたちはいつのまにか「友だち」間の距離を少しずつ遠ざけるようになっていく。 恋愛でもそうだけど、「自立した」とか「依存していない」ということを 大人であることの最低条件であるかのように、求められる。 しかし『FRIENDS』『SEX and the CITY』の憧れるポイントはまさに「依存できる」友だちがいることだと思う。 ここでようやく、今回のテーマである文化庁長官もつとめられた臨床心理学者の河合隼雄先生の著作、『大人の友情』の一節をご紹介。 人間として一人立ちしているということは、孤立しているのではない。ずうっと以前は、アメリカの心理学で、依存と自立を対立的に捉え、依存が少ないほど自立していると考えるような単純なことをしていたが、1960年頃より、自立している人は、適切な依存ができてそのことをよく認識している人である、と考えるようになった。このことは、あらゆる人間関係において言えることだが、友人関係の場合もこのとおりで、違いに依存したりされたりしつつ、そのことの認識の深さによって、その自立性も高まるだろう。 一人立ちしているからと言って、いつでも、誰とも一心同体などと感じたことはない、というのは淋しすぎる。「一心同体」と呼びたいような感情を友人と分かち合う素晴らしさを味わいつつ、だからと言って、常に一心同体であると考えるほど、それに溺れ切らないというのがいいのではないだろうか。 この2作どちらも、ほとんどのメンバーが大人になってから出会っていて、それぞれキャリアや恋人、結婚、子供というステージを自立して歩み、 それぞれの幸せを掴んで行く。 それは当たり前に依存できる友だちがいるからこそなんじゃないかなと。 男とデートしてひどい目に遭っても、仕事クビになっても、親が死んじゃっても、当たり前に側にいてくれる友だち。 SATCで “Maybe ...
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映画備忘録170321

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