『すべての見えない光』
“All the Light We Cannot See”
今、「光が見えない」っていう人が、たくさんいると思う。
わたし自身もそうだ。
ワクチンが開発されるまで、ほとんど外に出られなくなるんじゃないか。
生活に必要なものが手に入らなくなるんじゃないか。
そんな不安から、悪い情報ばかりが身体に入ってくるようになって、
人を監視したり、攻撃したりするようになる。
わたしが『すべての見えない光』を読んだのは、新潮クレストが好きだったこと、
BRUTUSの『危険な読書』特集でピックアップされていて、
そのタイトルが気になったからだった。
読んだのは3月上旬くらいで、緊急事態宣言が4月上旬に出そうになっているなんて、
まだ現実的には想像もしていなかった頃だった。
でも、まさに今、この作品は人々に求められている物語なんじゃないかと改めて感じて、
ちょっと久々にブログを書いています。
以下、池澤夏樹さんの紹介が美しいので引用。
「人生には自分で選べないものがたくさんある。
たとえば、この小説の主人公であるマリー=ロールというフランスの少女は目が見えない。
ヴェルナーというドイツの少年は大戦に巻き込まれる。
悲惨とぎりぎりの彼らの運命をその時々に救うのは、
貝殻や桃の缶詰、無線で行き交う声と音、いわばモノだ。
それに少数の善意の人たち。
遠く離れた少年と少女は少しずつ近づき、一瞬の邂逅の後、また別れる。
波乱と詩情を二つながら兼ねそなえた名作だとぼくは思う、」
『すべての見えない光』 池澤夏樹氏書評
この作品でわたしが好きだったのは、ふたりの「在り方」だった。
彼らの幼少期から青年期の数年間を、寄り添うように見つめる中で
彼らが素直に、自分たちが出会う世界を見つめ、触れる
情報も遮断されて、大切な人の居場所や生存も、未来もわからない中で
大切なもの、ラジオ、音楽、物語……
それらを守り、その瞬間を自身の内なる声、そして共鳴するものを信じるふたりに
わたしたちは、光を見出す。
今のこの困難下には、様々な情報が錯綜して
少なからずいろんな人の負の感情を伴った言葉が入ってくるけれど
マリー=ロールのように、ヴェルナーのように
フレデリックやエティエンヌのように
あるいはユッタや、マリーロールの父や、マネック夫人のように
またあるいはフォルクハイマーのように
自分自身の内側にあるモノ、感覚を信じて、今このときを生きたいなと思う。
526ページとかなりボリュームがあるので
ちょっと時間ができたなって人にもおすすめです。
早く光がみえますように。