友だちについて③

前回からの続き。 アイキャッチ画像とか、ブログ内での画像とかいろいろ見づらくてごめんなさい、、、!!
なんとか調整しようと思っていますが、少し時間かかるのでしんぼうして読んでもらえたらありがたいです、、、!
できればPCで、スマホの場合は縦横スクロールすればなんとか見れるのでしばらく自力でよろしくお願いしますq:
 しかし自分の過去を遡るっていうのも慣れないとなかなか難しいもんだなあ。
昨年から子どもが主人公の脚本を書いていたので、自分の幼少期を振り返り、どんなことがあって、どんなふうに見えて、どんな気持ちになったか、細かく思い出すという作業を重ねていました。
それはなかなかに苦しくて、毎晩殺されたり殺したりという悪夢を見続けた期間も。。。
もちろん楽しかった思い出もたくさんあるけど、そんな記憶もセンチメンタルな色合いを持って思い出されたり、 幼少期って思い出そうとするとわたしにとってはなんだか胸がズキズキすることのほうが多いです。 脚本の内容的なものもあるんだろうけど。
 その脚本を一応(これからも改稿作業は続くので……)書き終えた直後くらいに、『ヴェルニ』で主演のえり役として出演していただいた田村愛さんとふたりでお茶をしながらお話する機会がありました!
愛さんは数年前にご結婚された後、”鳥本愛”さんとしてコーチングの活動もしているのですが…
ブログ

 これまでは作品を通してのお話はしても、コーチングの活動をスタートされてからゆっくりふたりきりで個人的なお話をする機会ははじめてでした。 コーチングを受けたわけではなくお茶しながらお互いのことを話しただけなんだけど、全力で受け入れてもらえてる……!!というふだんなかなか味わうことのできないような感覚でお話をすることができて、自分が目を背けてきたコンプレックスに気付いたり、血流もよくなったんじゃないか……!?と感じるくらいの(笑)短い時間でたくさんの発見がありました。

 なかなか周囲にはそんなことできる人いないかもしれないですが、一度足を止めて、人と対話して自分を幼少期からさかのぼって見つめるという機会をつくるのもおすすめです。
 そうやって振り返ってみても、恋愛はわかりやすくあーなってこーなってってあるけど、友だちって終わり方もだいたいは環境の変化や、なんとなーく時とともにフェードアウトしていくことが多いからあんまりはっきり思い出せなかったりして。 高校生になって、髪染めてピアス開けて、「パンツ見せたいの!?」って怒られるくらいスカート短くして、念願だった軽音楽部に入って、成績なんて気にしなくなったせいか、中学のときよりは無理しなくなって、いじられるのは変わらずだったけど、たくさん友だちができた。 何時間でもバカみたいにしゃべって、失恋したら一緒に泣いたり、仲良い子が病んじゃったら自分も病んじゃったり、今は笑い話だけどこっぴどい目に一緒に遭ったり、、、学校内でもバイト先でもなんだか友だちってものに全身全霊をかけていた気がするなあ。
 さすがに20代も後半になってくると昔よりも気をつかう関係にはなってきてるけど、今もなんだかんだときどき会って、これからも続いていったらいいなーと思うのは、たぶん高校時代の短いようで長かった時間の中で、無駄なことを一緒にして、無駄なこと話して、バカみたいに泣いたり笑ったりした時間があったからなんだろうな。 それがわたしには高校時代だったけど、幼少期の人もいれば、小・中学校の人もいるのは自分にフィットするタイミングみたいなものが人それぞれちがうということなのかな。
 大学時代も数は少ないけど友だちはできて、今でもときどきごはん行ったり、高校時代とはちがう温度で、どっちがいいとかいうわけでもなく付き合えているのかなーという感覚がある。
特に寮で一緒に暮らした友だちに対しては、今考えるとぞっとするくらいの自己中な振る舞いしてたにも関わらず、いいことも悪いことも今でも全部受け入れてくれて、その子にはちょっと口にするのも憚られるような出来事も恥ずかしがらずに言えたりする。
映画美学校時代の同期たちはどちらかというと「仲間!」という意識が強くて、「俺たちは仲間であって、友だちとはちょっと違う」なんて話をお酒飲みながらだれかが語り出したりする。 バイト仲間や先輩とは今でもときどき連絡取り合ったり、映画を手伝ってもらったりすることもある。
その人に対してじゃないとこうは話せないって内容とか、空気もある。 そのどこからどこまでが友だちで、どこからどこまでが仲間で、知り合いなのかなんて線引きはほんとうに難しいことだと思う。
なにからなにまで話してなきゃ友だちじゃないとか、 何ヶ月に一回会ってなきゃ友だちじゃないとかそんなことはないわけで、 人生のなかのそれぞれのタイミングや波長で、距離が近づいたり、離れたりする。
ときどき聞くのが 「社会人になって、お互いにメリットないとわざわざ人に会おうとは思わない」 という言葉。正直わたしも思うことはよくある。 人によってその「メリット」という言葉の響きはちがって聞こえる。
わたしにとっては「お金」とか「地位」とかではなくて、たがいに違いがあってもそこを乗り越えて尊重しあえるかとか、ある程度まで正直になれて、そこで共有できるものが「メリット」なのかなーなんて考えている。
もちろんそうじゃなくて本当にわかりやすいメリットがあるから人と会う機会もたくさんある。 仕事関係とか、この人面白そうだなとか、繋がっとくとあとあといいかなーとか。 でもそれは友だちじゃない。少なくともそう思って会っている間には。
本の中でこんな言葉がある。

「友だちというものはお金になるわけでもなく、社会的地位向上に役立つものでもない。もしそのように友人を利用したら、 それは友情とは別のものである。結果として友人があたえてくれるさまざまな目に見えるもの見えないものがあったとしても、決してそれが目的ではない。」

ときどき自分に自信がなくなったとき、「あーでも自分にはこんなにいい友だちいるから捨てたもんじゃないな」って考える。
自己中でどうしようもない人間だけど、でも見放さずに会ってくれたり長電話付き合ってくれたりして、 いつか自分がもっと周りの人にいいこと、いいものを与えられる人間になれたらいいなーって思うけど、 この先つまずいたり、とっちらかったりして迷惑しかかけられなくても、友だちだって言ってくれる人がそばにいてくれる人間でいないとだめだなーとも思う。
 「あんまり大切に思っていなかった」友だちがけがをして入院したとき、絶対に死なないで。と涙があふれてきたことに対して佐野さんはこう語っている。

「この人は、私のばかなところ、だめなところ、いやなところ、くだらないところを引き受けてくれていたのだ。この人がいなかったら、私のいやなところ、くだらないところは行き場を失って、私の中にあふれ返って生きてはいけなかったのだ。立派な尊敬にあたいする友人だけを持っていたら、私はなんと貧しい土に生きている生き物だっただろう。二人で過ごしたおびただしい無駄な時の流れ、その無駄を吸い上げて、私たちは生きてきた。」

名文………!!!!!
 友だちとはなにか、その定義は難しいけど考えさせられる一文。
 というわけでまとまってないかもしれないけど、佐野洋子さんの『友だちは無駄である』とそれにまつわる考えあれこれに対してはこの名文でしめたいと思います。
 気になった方はぜひぽちってみてください。
 『友だちについて』、終わりか?って思ったあなた、残念でした。まだ続きます。
 次回は河合隼雄先生の『大人の友情』(朝日文庫・2008)をテーマに。 2冊交えようかとも思ったのですが、ブログ力ゼロの今そんなことすると収集つかなくなるかなと思ったので、ちょっとかぶったり、戻ってみたりする可能性は大だけど、最初いろいろ友だちってなんだよ!!って思った時期のことを回収しつつ、「大人の友情」に焦点をあてて考えてみようと思います。
 いやーしかしブログって勉強になるね。今は時間かかり過ぎたわりに大したこと書けてないけど、 もっとおもしろく書けるように精進します……!!実践あるのみ!!!
 目指すは『JUNO』の脚本家でアカデミー賞脚本賞受賞のDiablo Cody!(ブログで目つけられて脚本書いたすごい人!)
 「無駄なことを 一緒にしようよ」SMAPのJoy!!の歌詞ってじっくり見ると名文だよね。
作詞&作曲、赤い公園の津野米咲だって。しかも当時21歳だって……!すごっ!
あんまり聞いてこなかったけど赤い公園聴いてみよ。
というわけで次回につづく。ここまで読んでくれたあなた、ありがとう!

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