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大人の友情

友だちについて⑤

今日は祖母の誕生日。去年の5月に祖母はあの世へ旅立った。 祖父も、もう6年前に他界したけれど、重度のおじいちゃんおばあちゃん子だったわたしは 自分の一部を喪失したようだった。 記帳係だったので、参列者それぞれに挨拶をした。 そのとき来ていたのは近所の人とか、親戚がほとんどだった。 祖父のときもそうだったけれど、老齢になってくると友だちってあんまりいないもんなんだなって思った。 すでにこの世にいない人もたくさんいるだろう。 それにしても一緒に暮らしていてもゴルフとか、年に一度か二度ある集まりのほかに友だちと会っているような場面が思い出せなかった。 でもそれが人望がないとか、哀れだとかそんなふうに思ったわけではない。 祖父母はそれぞれがかけがえのない親友であるようにわたしには見えていたから。 もちろんわたしの知らないいろんなことがあっただろうけど、少なくとも私が生まれてから見てきた祖父母はそう見えた。 『大人の友情』の中にも、夫婦に関するエピソードがいくつかある。 「茶呑み友達」というお話の中で、 確かに「愛」の物語には劇的なものが多い。相手のためにはどんな犠牲も惜しまない。財産や地位や名誉を投げ棄てる。時には命さえ惜しまない。相手がどれほどのものを捧げてくれるかによって、愛の程度が測られるとも言える。そしてこのような激しい愛は、恋愛の場合、特によく生じてくる。しかし、既に述べたように、このような激しい愛は長続きがしなかたり、案外なところで、もろさを露呈したりする。 それに比して、共にお茶を飲む、お喋りをする、共に仕事をするなどのことは、互いにそれほどの愛を感じていなくともすることは多い。しかし、そのような日常行為の中に積み重ねてゆかれた愛は、激しくはなくとも、深く強いのではなかろうか。   「境界を超える友情」の中では 夫婦の絆にはいろいろなものがある。しかし、それらのなかの重要なものとして、友情ということがあると思う。そしてそれは共に人生を戦い抜いてきた「戦友」として感じられることもあるだろう。   結婚したこともないやつがなにわかったようにって思う人もいるだろうし、実際結婚なんてことは私にはちんぷんかんぷんだけど、 一番側にいる人が、こんなふうに感じられたらきっと幸せだろうなーと思う。 その一方で自分が結婚しなかったり、結婚したとしてもうまくいかなかったりしたとき、自分にとって「友だち」という存在とどう付き合い、位置付けていくんだろうと自分のお葬式の場面を想像するとなんだか一抹の不安も感じるけど、汗 「大人の友情」とはなんなのか、考え続けながら人との出会いや別れを経験していきたいなと思う。 この本の最後で 友情とはなんぞやと訊かれると、今でもはっきりとは答えられない感じがするが、あらゆる人間関係の基盤としてそれはあり、人間の生き方を豊かにしてくれるもの、と言うことができるであろう。 科学技術が発展し、われわれは極めて快適で便利な生活をしているが、下手をすると、何でも自分の思いのままに支配し、操作できると錯覚し、その結果、大変な孤独や閉塞感などに悩まされることになる。 ぎすぎすした人間関係に潤いを与えてくれる友情ということが、現在において極めて重要になってくるのも当然である。そして、友と友を結ぶ存在としての「たましい」などということに、少しでも想いを致すことによって、現代人の生活はもっと豊かで、幸福なものとなるのではなかろうか。   河合隼雄先生の言葉は、とてもやさしくあたたかくて押し付けがましくないのに、鋭い眼差しにはっとさせられる。 もしご存命でいらっしゃったら、なんとしてでも一度河合隼雄先生とお会いして話してみたかったな。 落ち込んだり、人生に挫折したり、人間不信になったり、、 とにかくどんな状態にも効果テキメンなので、ぜひたくさんある著作の中から自分にぴったりの一冊を探してみてください。   というわけで最初の自分自身が発した問いに回答が出せたのかは微妙なところですが、あんまり無理せず、大事な友人と無駄なことを一緒にしながら、互いに支え合い、人生を共有していけたらいいなと思います。 というわけで更新も内容も散漫としてしまいましたが、長らく続いた『友だちについて』シリーズ全5回はこれにて完結! ここまで読んでくださり、ありがとうございましたー!!   追伸、なんだかブログむちゃくちゃ重いですね。ごめんなさい。 サーバー容量あげるべきなのか、、それともわたしの設定のなにかがおかしいのか、、   ...
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