ユートピア


最近ネコと空ばかり見ている。
そしてふとわたしはやっぱりこの時代に生まれたのが合っていなかったのではないかと考える。
デジタルなんて生まれる前の、もっと感覚的で、直接的で、温度や触感にもっと深く身も心も委ねられる時代に生まれるべきだったのではないか、と。
そんな時代を生きた人には「甘い」と一蹴されそうだけど、でも子どもの頃から微かに抱いていたその感覚は、歳を重ねれば重ねるほど増していくばかりだ。

同時に空をぼんやり眺めていたら、小学生の頃掲示板やチャットで会話していた人たちとの記憶と感覚が、唐突に蘇った。

まだネットに接続するのにウィーウィー電子音が鳴り続けていた頃。
兄がPCに詳しかったからか、真似するように興味をもった。
いろんなことが知りたくて知りたくてしょうがなくて、掲示板やチャットを徘徊し始めた。
そのうちに同じものが好きだったり、言葉の波長が合ったり、幼いながらにもそういう場所を見つけて、時間を約束して何人か、あるいは個人的に集ってチャットでおしゃべりするようになった。

当時は私が11歳とかそのくらいで、ちょっと年上の人から大学生くらいまではいたと思うけどたしか1番年少だった。
今だったら少しは身構えるかもしれないけど、当時はまだそんな警戒心や不安はなくて、そこにいる人たちが自分のことをひとりの人間として話をしてくれるのが純粋に嬉しかった。
稀にやばい人もいたんだと思うけど、その記憶はすっぽり抜け落ちている。

その中で特別に仲の良かった人とは文通をしたり、聞き逃したラジオのテープを送ってもらったり、修学旅行の合間に少しだけみんなに会いに行ったりした。
みんなすごーく、やさしかった。

年齢とか、見た目とか、なにやってるとかって本当に思い出せないくらいどうでもよくて、覚えているのは話しているときの自分の感情、いや、そんなものも飛び越えたここちよさ。
今はそんなふうにはどうあがいてもなれないだろうな。

空を見てそんなことを思い出したのは、だれかとつながっているという共同体感覚は、直接の関係性でもなく、今みたいな個人情報が晒されたSNS上でもなく、あのときのがいちばん言葉的にはしっくりくるような気がして。
なんかこうむき出しで、正直で、支え合っているような。

子どもだったからもあるけどわたしにはそんな居場所だった。

もちろん多分に美化されているだろうし、いろいろ新しいものに馴染めなくなって回顧的になっているのかもしれないけど、もうSNSも限界感が出始めている中、そういう感覚を持てるような場所がデジタルでもアナログでもなんでもいいからつくれたらいいな〜なんて思う。


それはつまり、人を好きになりたいとか、信じたいってことなんだろうな。
だからといって警戒心を和らげるのはとても!むずかしい。



久々のとめどないブログでした。
読んでくれた人ありがとう!

おしまい。

写真は川内倫子さんの。



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