身体性、新体制


身体性について書こうと思ってスペースを押したら

「新体制」になった。

でもそれもそうかもって思った。

昨日落合陽一さんの番組を観ていて、

いわゆるベンチャー感!みたいな人はあまり得意ではないけれど

わたしは1つ年上の彼がけっこう好きで、

彼の言葉は自然と身構えずに、落ち込まずに聴ける。

わたしは最近1日に3回くらいは

狭い東京のひと部屋で大して上手くもない単純な英語で叫んでいて、

たぶんどこかおかしい。

そう。もうデジタルから脱したい。

そんなこと書きながらネットにこれを放っている時点で矛盾?

小学校からPCを使い始め、今じゃツールもそれなりに使えて、

ムダなシステムも会議もキライだけど、

でもデジタル派かと言われればそうじゃない、ことが最近わかった。

そもそもデジタル派なんて人、本当に存在しているんだろうか。

たいせつなもの、

光と振動と、体温。

それがあるときに、デジタルも好きになっていたんだ、多分。

それが遠くなればなるほど、

感じられないほどに情報量が多いほど、

目の前の、小さな長方形のアルミの中の網目みたいに広がる世界から

逃亡したくなる。


だけど、この小さな小さな長方形がなくなったら

わたしは今以上に孤独で、きっと、今の倍くらい叫んでいるだろう。

もしかしたらそれが日本語になっているかもしれない。

本当に?


この世界が、新体制なのだとしたら

過去の記憶を、もう此処に置いていかなければならないのだとしたら

わたしは小さくて大きい白くてふわふわしたあたたかな存在以外と

見えない距離で、どうやって

光を、振動を、体温を感じればいいんだろう。

なんて考えながら、わたしは彼の言葉を聴く。

(映像はこんなテンションではないので、気落ちせず観てください)

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