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評価を受けること

ここ一年くらい、SNSでは繋がっている友人や知り合いに久しぶりに会ったりすると、 「活躍してるね!」なんて言ってもらえて、ありがたいな〜と思う一方で自分の実感とはかけ離れていてリアクションに困ることがある。   『ヴェルニ』を完成させた後の一年は、46分の中編という尺の微妙さで応募できる映画祭は限られていたものの、とにかく応募しまくった結果どこにも引っかからなかった。(昨年にありがたいことにふたつの映画祭で上映、受賞となったのですが)   当時はひとつひとつの結果に落ち込んでいたし、学校の修了制作ではあったけれどいろんな人に大したお礼もできず協力してもらったので、良い子ぶるわけではなくただただ申し訳ないのと自分への不甲斐なさもあって、その後なかなか次の映画へ気持ちが向かわなかった。   今考えれば初めて撮ったのになに言ってんだ、大事なのはそこじゃないだろうと思うけれど、当時25歳、きっと自意識が高すぎたのでしょう。   そして『いとしいひと』は予算、規模や尺も区切った中でさあなにをやろう、という感じで撮ったので撮影時以外はそこまでプレッシャーもなく完成させたのですが、結果的にいくつか映画祭で上映してもらったり賞をもらえたり、自分で上映イベントを開催できたりして、普段FBにあまり書き込まないわたしもちょくちょく投稿する機会が増えたので、わかりやすく「活躍している」ように見えたのだと思う。   がしかし、その裏には入選できた数の数倍の映画祭に落選しているし、その過程でけちょんけちょんに言われたりもしているので「活躍している」という言葉につい「いやいやそんなことはないんですよ」と自虐なのか自衛なのか反応してしまったりしていた。 がしかしそれって相手も困るよな、と思うし最近はもっと素直に喜んでいいことなのに卑屈すぎるんじゃないかと、ただ「ありがとう」と返すようにしている。     最近もとある選考(調べればわかるけどなんとなく伏せておきます…笑)に脚本を応募して一次審査は通ったものの二次審査で落選してしまい、そこで評価されるということについて自分がどう向き合い、どう向き合わないかについて考えてみたり。 課題の上映で自分がやらかした……!という自覚があったので、悔しくはあるけど割と気持ちの切り替えは早かった。 (とはいえ当日は落ち込みすぎて、帰り道に寄ったはじめてのGINZA SIXを挙動不審に歩き回っていたけれど)   最近はこういうことにも昔よりは慣れて、いや慣れというよりは一喜一憂してると身が持たないからある程度落ち込んだらどうにか回復させようと自分をあげていこうとするクセがついた。   映画だけじゃないと思うけど、 「作品を評価される=自分の根底を評価される」 という感覚があって、例えば学校の成績、仕事の達成度とかとはまるで別物な打撃があります。 (だからといって学校、仕事よりも映画のほうが偉いとかそういうことではないです)   もちろん評価されるために映画を撮っているわけではないし、やりたいことがあって、表現したいなにかがあって撮っているけれど、それがちゃんと自分が思ったように表現できているのか、他者に響いているのか、そしてそもそも面白いのかというのはどうやったって他者の目に委ねるところが大きく、意識せざるをえない。   いいこともそうじゃないことでも、自分の糧になることを言ってくれる人はいるし、 中には自分を高みに置いてただディスりたいだけだったり、お門違いのことを言ってくる人もいるので、 どこまで人の意見や評価を取り入れ、無視するかはとにかく続けていかないと見極めはむずかしいのかもしれない。   ただあまりに気にしすぎるともう次に向かえなくなってやめてしまったり、他人の目が気になって人間不信やうつっぽくなってしまったりするので、人から高ダメージなことを言われたときは信頼できる自分の味方とお酒飲みながら言ってきた人を罵倒したりして忘れてしまえばいいと思う。   最近、活躍してる40代のディレクターの人に 「人から悪い評価を受けたときどうしてますか?」って質問したら、 「めちゃくちゃ落ち込むけど、スナックでカラオケして忘れる」と言っていた。   きっとわたしも少しずつ浮上させる術を装備していっても、揺るがない経験を積んでも、「評価を気にしない」という日はそうそうやってこないんじゃないかな。   お酒を飲んでも、思いきり歌っても、美味しいもの食べても、なかなか完全には忘れられないし、 次なにかやるときにそれを一瞬思い出して、それを回避しようとしてもいいし、また同じ方法を試みてもいいし自分で考え行動することが重要なのかな、なんて思います。   こういう話題になると人はついつい答えとか解決方法がほしくなって、 「人と自分を比べない」「他者軸で生きない」 とかいう最近流行りの言葉についつい熱をあげてしまったりする。 私もnaverまとめで悩みを検索→名言で自分を鼓舞!というお決まりルーティーンを何度繰り返したことでしょう……。(遠い目)   個人的に『嫌われる勇気』ダイアモンド社 岸見 一郎 (著), 古賀 史健 ...
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打倒!クソバイザー

ここ数日高熱を出して寝込んでいたのですが、その原因は…...   どうでもいい人にクソバイスを浴びせられたからだ、と勝手に断定しています。   そもそもこの「クソバイス」という言葉、私は知らなかったんですがみなさまご存知でしょうか。 コラムニスト、エッセイストである犬山紙子さんがそのご著書、 『言ってはいけないクソバイス』(ポプラ社)にて編み出した言葉のようです。  ではクソバイスとはいったいなんなのか。     クソバイス:クソみたいなアドバイス     まんまだけど、うまいですね。 わかりやすく、使いやすい。     あなたも言われてor言っていませんか? クソみたいなアドバイス!  クソバイスとは? 求めていないのに繰り出される、クソみたいなアドバイスのこと。 相手のためを思って言っているようで、実は上から目線で持論を押し付けているだけのことが多い。 なお、クソバイスすると大変気持ちが良い。 「仕事ばかりしてると婚期逃すよ」 「本当の恋したことないんでしょ? だから彼氏と長続きしないんだよ」 「え? 男なのに軽(自動車)乗ってるの?」 「若いんだからもっと何事にも積極的になりなさい」 男女間で、女同士で、職場や学校や家族内で…… どんな関係性でも発生しうるクソバイス。 引用:Amazon 『言ってはいけないクソバイス』内容紹介   あるよね。まーあるよね。週3回くらいは受けているような気がする。 20代から30代の女性は特に言われやすい立場でもあることも事実かと思います。 私の実経験上、クソバイザーは40代以上の中年男性にもっとも多いかと思うのですが、 彼らが標的にしやすいのがまさに社会人になったばかり~30代の女性。   逆にここに書いてあるような女性が言うようなことは、私はあんまり受けることがないです。 男性の場合、初対面でもあーだこーだとクソバイスしてくることもあるけど、女性の場合はある程度関係性が近づいてからじゃないとそうならない気が。 個人的には女性のほうが用心しやすい、流しやすいのであまり気に留めていないのかもしれません。   クソバイスは、アドバイスの形をとっているからたちが悪い。 だいたいのことは心の中で「余計なお世話だよ」「だまれうざい死ね」もしくは 「そんなこと言ってるからモテないんだよ」と突っ込みたくなることでしょう。   そしてなぜこの人はこんなしょうもないことばっかり言っているのに自信満々なのか、 会って間もない、そしてなんの興味もないこの人になぜ上から目線で言われなきゃいけないのか、 あなたはそんなことをまったく理解もできず、かといって人の言うことにまともにダメージを食らってしまい そのもやもやを翌日まで、ひょっとすると一週間くらい引きずってしまうかもしれません。   実際私もばかまじめにその言葉の暴力にダメージを受けて高熱まで出しました。(と思っている) 人の悪意ってそれだけのパワーがある。   こんなクソバイザーに遭遇したときどうすればいいのか。 そしてクソバイザーをつけあがらせないためにはどうすればいいのだろうか。   友人に相談したところ、 クソバイス返しする ブロックする(近づいてきたら追い返す) 「それクソバイスっていうんですよ」とにっこり笑う ...
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英語の自分、日本語の自分

元セクシーチョコレートでタレントのREINAがゲスト回のバイリンガルニュースで、言語による人格の変化の話題が出ていた。 私にとってはすごくタイムリーな話題だった。   最近英語で話す機会がすごく増えた。   映画や海外ドラマ、そして最近どはまりしているバイリンガルニュースや、時々勉強しているForestやDuolingo等々、英語に触れている時間は比較的多いため英語のノリは掴んでいるからか「どこか留学でもしたの?」と聞かれるほどには話せるけど、ディープな会話になると単語が出てこなくてiphoneやGoogle、Weblioに助けてもらいつつ頑張って話している。   英語を話すのはとても楽しいし、もっとしゃべれるようになりたいと思っているからまったく苦ではないし、 これまで海外を旅したときにいろんな人に助けてもらったことがたくさんあったから、日本にわざわざ来てくれた人に一時的でも楽しい時間を過ごしてほしいなという思いもある。   「日本に来たら日本語で話す努力をしろ」とかいう人もいるけど、私はそんなことどうでもよくって、 むしろ英語でしゃべりかけられてるのに日本語で返す人の多さに、3年後のオリンピック大丈夫?って思っている。 切符が買えない外国人に対して、駅員が表情を変えず日本語で返している光景を見たときにはさすがにひいた。   英語で話せば、普段出せないくらい明るくわいわいできたり、ちょっと洒落っ気出せたり、気軽にジョークを言えたりするのに、日本語に戻った途端なに話せばいいかわからなくなったりするときがある。 不思議。   英語で話すときはとにかく話すことに夢中で脳みそ使いまくってるからなのか。 それとも日本語は敬語とか、ニュアンスに気を遣っているからなのか。   最近は英語での人格の自分のほうが好きだなと思っていて、だったら日本後ver.の自分も英語版にアップデートさせればいいんじゃないかと思って少しずつ試してみているんだけど、どうもうまくいかない。   頑張らなくてもしゃべれるくらいの英語力を身につけたら、どんな人格になるんだろう。   CIA、FBIに内定、ハーバード大学院卒、クリントン事務所でインターン、ロイター通信で勤務等々、同い年でものすごい経歴を持ったREINAを、存在は知りつつも漫才もトークもほとんど見たことがなかったんだけど、バイリンガルニュースで一気に好きになった! 声が色気があって癒されたし、すごくはっきり自分の考え方を持っていて、でもそれを押し付けている感じも全然なくて。 ブログが日本語、英語で書かれていて勉強になるので興味ある方はぜひ〜 REINA Official Blog by ...
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銀座の猫じじい

銀座に行くと思い出す風景がある。 休日の歩行者天国になっているメインストリートの看板の上に、派手なピンク、ブルーのシュシュをそれぞれつけた小さな子猫が2匹、降りられそうもない高い看板の上で少し震えている。 「かわいいーーー!!!」と黄色い声をあげながら集まり喜んで携帯で写真を撮るカップルや、OLらしき女性たちやおじさん等様々な人々。 群衆はどんどん膨らんでいく。   Naverまとめ【虐待か】たびたび目撃される看板猫と「猫おじさん」にまつわる黒い噂   子猫たちは不安げにどこかを見つめている。 吐き気を感じた。わざわざこんな場所で猫を見世物にして喜ぶ飼い主の行為以上に、それを「かわいい」と写真を撮る人々の群れに。 耐えきれず前に出て、猫たちを下ろした。賛同してくれた女性と警察を呼ぼう、それまではここで猫たちを見守ろうと話をしたそのとき、ある中年男性が私たちを非難した。 時間が経ってしまってうろ覚えだけど、その男は猫の写真を撮りたかったらしく「猫が降りられる場所に置いてなにが虐待なんだよ!? 勝手に正義感ぶりやがって」というようなことを汚い言葉をつかって罵ってきた。 (ちなみに私が見たときの猫は小さすぎて、とてもじゃないけど軽々と降りられる高さではなかった) なんだかんだといろいろ言われても猫をこんな場所に放置して良いと思う理由が、到底私には理解できない。 口論になった。周囲は写真を撮れなくした私の行為にきつい視線を向け、なにか非難らしき言葉をひそひそと口にしていた。 女性が呼んでくれた警察が到着してその場を引き渡し、私はむかむかしたまま吐き出しようのない思いを抱え銀座を後にした。 小津映画に出てくるような、ブティックや名店が集まる歴史ある銀座という街に、上京して随分経ってもわたしは憧れの気持ちを抱いていた。 でもそれ以来、そんなイメージは持てなくなってしまった。 動物虐待に対して様々な考え方があるのは承知の上で、私ははっきり、これは動物虐待だと断言する。   「 ...
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友だちについて⑤

今日は祖母の誕生日。去年の5月に祖母はあの世へ旅立った。 祖父も、もう6年前に他界したけれど、重度のおじいちゃんおばあちゃん子だったわたしは 自分の一部を喪失したようだった。 記帳係だったので、参列者それぞれに挨拶をした。 そのとき来ていたのは近所の人とか、親戚がほとんどだった。 祖父のときもそうだったけれど、老齢になってくると友だちってあんまりいないもんなんだなって思った。 すでにこの世にいない人もたくさんいるだろう。 それにしても一緒に暮らしていてもゴルフとか、年に一度か二度ある集まりのほかに友だちと会っているような場面が思い出せなかった。 でもそれが人望がないとか、哀れだとかそんなふうに思ったわけではない。 祖父母はそれぞれがかけがえのない親友であるようにわたしには見えていたから。 もちろんわたしの知らないいろんなことがあっただろうけど、少なくとも私が生まれてから見てきた祖父母はそう見えた。 『大人の友情』の中にも、夫婦に関するエピソードがいくつかある。 「茶呑み友達」というお話の中で、 確かに「愛」の物語には劇的なものが多い。相手のためにはどんな犠牲も惜しまない。財産や地位や名誉を投げ棄てる。時には命さえ惜しまない。相手がどれほどのものを捧げてくれるかによって、愛の程度が測られるとも言える。そしてこのような激しい愛は、恋愛の場合、特によく生じてくる。しかし、既に述べたように、このような激しい愛は長続きがしなかたり、案外なところで、もろさを露呈したりする。 それに比して、共にお茶を飲む、お喋りをする、共に仕事をするなどのことは、互いにそれほどの愛を感じていなくともすることは多い。しかし、そのような日常行為の中に積み重ねてゆかれた愛は、激しくはなくとも、深く強いのではなかろうか。   「境界を超える友情」の中では 夫婦の絆にはいろいろなものがある。しかし、それらのなかの重要なものとして、友情ということがあると思う。そしてそれは共に人生を戦い抜いてきた「戦友」として感じられることもあるだろう。   結婚したこともないやつがなにわかったようにって思う人もいるだろうし、実際結婚なんてことは私にはちんぷんかんぷんだけど、 一番側にいる人が、こんなふうに感じられたらきっと幸せだろうなーと思う。 その一方で自分が結婚しなかったり、結婚したとしてもうまくいかなかったりしたとき、自分にとって「友だち」という存在とどう付き合い、位置付けていくんだろうと自分のお葬式の場面を想像するとなんだか一抹の不安も感じるけど、汗 「大人の友情」とはなんなのか、考え続けながら人との出会いや別れを経験していきたいなと思う。 この本の最後で 友情とはなんぞやと訊かれると、今でもはっきりとは答えられない感じがするが、あらゆる人間関係の基盤としてそれはあり、人間の生き方を豊かにしてくれるもの、と言うことができるであろう。 科学技術が発展し、われわれは極めて快適で便利な生活をしているが、下手をすると、何でも自分の思いのままに支配し、操作できると錯覚し、その結果、大変な孤独や閉塞感などに悩まされることになる。 ぎすぎすした人間関係に潤いを与えてくれる友情ということが、現在において極めて重要になってくるのも当然である。そして、友と友を結ぶ存在としての「たましい」などということに、少しでも想いを致すことによって、現代人の生活はもっと豊かで、幸福なものとなるのではなかろうか。   河合隼雄先生の言葉は、とてもやさしくあたたかくて押し付けがましくないのに、鋭い眼差しにはっとさせられる。 もしご存命でいらっしゃったら、なんとしてでも一度河合隼雄先生とお会いして話してみたかったな。 落ち込んだり、人生に挫折したり、人間不信になったり、、 とにかくどんな状態にも効果テキメンなので、ぜひたくさんある著作の中から自分にぴったりの一冊を探してみてください。   というわけで最初の自分自身が発した問いに回答が出せたのかは微妙なところですが、あんまり無理せず、大事な友人と無駄なことを一緒にしながら、互いに支え合い、人生を共有していけたらいいなと思います。 というわけで更新も内容も散漫としてしまいましたが、長らく続いた『友だちについて』シリーズ全5回はこれにて完結! ここまで読んでくださり、ありがとうございましたー!!   追伸、なんだかブログむちゃくちゃ重いですね。ごめんなさい。 サーバー容量あげるべきなのか、、それともわたしの設定のなにかがおかしいのか、、   ...
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丸山夏奈的映画オールタイムベストテン!

今日下北沢のB&Bという本屋さんで開催された 「あなたらしい映画の見方をさぐる三宅塾」に参加してきました。 スクリプトドクター、脚本家で『スクリプトドクターの脚本教室』の著書である 三宅隆太さんの新刊『これ、なんで劇場公開しなかったんですか?』刊行記念のイベント。   Amazon『これ、なんで劇場公開しなかったんですか?: スクリプトドクターが教える未公開映画の愉しみ方』   映画美学校時代に三宅さんは脚本コースで講師をしていらっしゃってときどきロビーでお話ししていたりしていたのですが、『ヴェルニ』の脚本の改稿でどうにもこうにもいかなくなったときに、フィクションコースだったわたしは直接の生徒でなかったにも関わらずご相談に乗っていただいたことがありました。 自分の内面に迫っていく道筋で泣きそうになるほど胸が震えたり、逆にちょっと苦しくもなったり、お話の内容もだけどその濃密な空間は今でも強く印象に残っています。 最近なかなか改稿に手がつけられなくてどうにかしたい!と思って読んだ『スクリプトドクターの脚本教室』。 シド・フィールドとかいろんな脚本術の本を読んでもすっきりしなかったことが、まさにこの本に書かれていた、、!(気になる人はぜひご購入を!) 三宅さんのお話を久しぶりにお聞きしたいなと思って直近にあったのが今回のイベント。 「映画の見方」なんて自由でしょ?って思うかもしれないけれど、「正しい映画の見方」的なマニュアル論ではなく、それぞれの映画の意図を汲めてるかという視点からのまったく押し付けがましくない、むしろ自分の内面に問いかけるようなお話。 たとえば最近観た『La La Land』にまったくノレなかったり、逆に自分がもう死ぬほど好き!っていう映画をあっさり一言で全否定されてしまったり、たまらなく感動したんだけれど、どこにそんなに自分が感動したのかがわからなかったり… 改めて考えてなかったけど、「映画の見方」について問われる場面って日々遭遇しているなー。   「自分は何故、あの映画が好きなのか?」 自分の感じ方に正直になりながら向き合うための方法として三宅さんが提案していたのが   「映画オールタイムベスト10」 を書いてみること。   ピックアップのポイントは 「無人島に持っていくならどれ?」 無人島に行ったら、もちろんスクリーンもPCも電気もない! それでもそばにあれば幸せ!そんな10本。   そこで自分なりに考えてみました。大好きな作品は数え切れないくらいたくさんある。 でも自分の人生になくてはならない映画、愛してやまない映画はなんだろう。 思い直して変更するかもしれないけれど、今思うのはこの10本! ジャージャンッ!   1. 『トリコロール 青の愛』 (Trois Couleurs: Bleu)/監督:クシシュトフ・キェシロフスキ(Krzysztof Kieślowski) 2. 『奇跡の海』 (Breaking the Waves)/監督:ラース・フォン・トリアー(Lars von Trier) 3. 『ベティの小さな秘密』 (Je M'appelle Elisabeth)/監督:ジャン=ピエール・アメリス(Jean-Pierre Ameris) 4. 『アデル、ブルーは熱い色』 ( La vie d'Adèle – Chapitres 1 et 2)/監督:アブデラティフ・ケシシュ(Abdellatif Kechiche) 5. 『ポンヌフの恋人』 (Les Amants ...
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友だちについて④

数年前に、結婚した友人と話していたときに、 「私にはスピーチ頼むなら絶対この人!って思い浮かばないなー」って言ったときに 「うちもそんなもんだったよー」って答えが返ってきた。 結婚式ではもらい涙必至な感動のスピーチだったんだけど、後から聞いてみると、一番長い付き合いではあるし親友だけど、大人になると合わないところも大きく出てきて、なんでも言い合うという関係ではないらしい。 大人ってむずかしい。 大人になっても「親友がいる」って疑いもなく言える人ってどのくらいいるのかな。 親友ってなんだろう、と考えたとき、わたしがぱっと思い浮かべるのは 海外ドラマの『FRIENDS』と『SEX and the CITY』のイメージです。 Cosmopolitan.uk By Claire Hodgson HBO Sex and the City Episodes 今さらSATC? FRIENDS!?って思うかもしれないけど、いろんな海外ドラマに手を出しても、何度でも繰り返し観てしまうのはこの2作品だけ。 全シーズン10回以上観てもまったく飽きず、きっとこれからも何度となく観続けるんだろう。 ひとりでごはんを食べるとき、疲れ果てて落ち込んでいるとき、映画やテレビなんて観れないようなときだって あたりまえに再生ボタンを押してしまう。 再生デッキの横に鎮座しているボックスはまるで家族の一員のような温もりすら感じる存在感。 『FRIENDS』は1993-2004(Season 1-10) 『SEX and the CITY』が1998-2004 (Season 1-6, Movie 1-2) と同時期のドラマ。 海外も日本も90年代って本当にドラマの黄金期、、、!! どちらも本当に素晴らしい作品だけど、なぜこの作品がここまで憧れをもたれたのかって、恋愛やキャリア、ニューヨークでの華やかな生活はもちろんあるけど、一番はその「友情」なんじゃないかと思っている。 毎日のように会ったり連絡とるのは当たり前。 夕食はもちろん、朝食、ランチ、買い物……当たり前に一緒に行動して、約束なんかしてなくてもそれぞれの家に行って一緒にテレビを見たり、馴染みのカフェでだべったりする。 疑問が湧いたり、幽霊が見えたり、寂しいと思ったら深夜であろうと電話しちゃったり、そんなとき友だちがタクシーで家にかけつけてくれたりする。 うっ………うらやましい……!!!! 大人になると、気軽に会おうって言えなかったり、寂しくて話したい夜も電話するのは憚られたり、 わたしたちはいつのまにか「友だち」間の距離を少しずつ遠ざけるようになっていく。 恋愛でもそうだけど、「自立した」とか「依存していない」ということを 大人であることの最低条件であるかのように、求められる。 しかし『FRIENDS』『SEX and the CITY』の憧れるポイントはまさに「依存できる」友だちがいることだと思う。 ここでようやく、今回のテーマである文化庁長官もつとめられた臨床心理学者の河合隼雄先生の著作、『大人の友情』の一節をご紹介。 人間として一人立ちしているということは、孤立しているのではない。ずうっと以前は、アメリカの心理学で、依存と自立を対立的に捉え、依存が少ないほど自立していると考えるような単純なことをしていたが、1960年頃より、自立している人は、適切な依存ができてそのことをよく認識している人である、と考えるようになった。このことは、あらゆる人間関係において言えることだが、友人関係の場合もこのとおりで、違いに依存したりされたりしつつ、そのことの認識の深さによって、その自立性も高まるだろう。 一人立ちしているからと言って、いつでも、誰とも一心同体などと感じたことはない、というのは淋しすぎる。「一心同体」と呼びたいような感情を友人と分かち合う素晴らしさを味わいつつ、だからと言って、常に一心同体であると考えるほど、それに溺れ切らないというのがいいのではないだろうか。 この2作どちらも、ほとんどのメンバーが大人になってから出会っていて、それぞれキャリアや恋人、結婚、子供というステージを自立して歩み、 それぞれの幸せを掴んで行く。 それは当たり前に依存できる友だちがいるからこそなんじゃないかなと。 男とデートしてひどい目に遭っても、仕事クビになっても、親が死んじゃっても、当たり前に側にいてくれる友だち。 SATCで “Maybe ...
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友だちについて③

前回からの続き。 アイキャッチ画像とか、ブログ内での画像とかいろいろ見づらくてごめんなさい、、、!! なんとか調整しようと思っていますが、少し時間かかるのでしんぼうして読んでもらえたらありがたいです、、、! できればPCで、スマホの場合は縦横スクロールすればなんとか見れるのでしばらく自力でよろしくお願いしますq:  しかし自分の過去を遡るっていうのも慣れないとなかなか難しいもんだなあ。 昨年から子どもが主人公の脚本を書いていたので、自分の幼少期を振り返り、どんなことがあって、どんなふうに見えて、どんな気持ちになったか、細かく思い出すという作業を重ねていました。 それはなかなかに苦しくて、毎晩殺されたり殺したりという悪夢を見続けた期間も。。。 もちろん楽しかった思い出もたくさんあるけど、そんな記憶もセンチメンタルな色合いを持って思い出されたり、 幼少期って思い出そうとするとわたしにとってはなんだか胸がズキズキすることのほうが多いです。 脚本の内容的なものもあるんだろうけど。  その脚本を一応(これからも改稿作業は続くので……)書き終えた直後くらいに、『ヴェルニ』で主演のえり役として出演していただいた田村愛さんとふたりでお茶をしながらお話する機会がありました! 愛さんは数年前にご結婚された後、"鳥本愛"さんとしてコーチングの活動もしているのですが... ブログ http://ameblo.jp/kira-ring710/  これまでは作品を通してのお話はしても、コーチングの活動をスタートされてからゆっくりふたりきりで個人的なお話をする機会ははじめてでした。 コーチングを受けたわけではなくお茶しながらお互いのことを話しただけなんだけど、全力で受け入れてもらえてる……!!というふだんなかなか味わうことのできないような感覚でお話をすることができて、自分が目を背けてきたコンプレックスに気付いたり、血流もよくなったんじゃないか……!?と感じるくらいの(笑)短い時間でたくさんの発見がありました。  なかなか周囲にはそんなことできる人いないかもしれないですが、一度足を止めて、人と対話して自分を幼少期からさかのぼって見つめるという機会をつくるのもおすすめです。  そうやって振り返ってみても、恋愛はわかりやすくあーなってこーなってってあるけど、友だちって終わり方もだいたいは環境の変化や、なんとなーく時とともにフェードアウトしていくことが多いからあんまりはっきり思い出せなかったりして。 高校生になって、髪染めてピアス開けて、「パンツ見せたいの!?」って怒られるくらいスカート短くして、念願だった軽音楽部に入って、成績なんて気にしなくなったせいか、中学のときよりは無理しなくなって、いじられるのは変わらずだったけど、たくさん友だちができた。 何時間でもバカみたいにしゃべって、失恋したら一緒に泣いたり、仲良い子が病んじゃったら自分も病んじゃったり、今は笑い話だけどこっぴどい目に一緒に遭ったり、、、学校内でもバイト先でもなんだか友だちってものに全身全霊をかけていた気がするなあ。  さすがに20代も後半になってくると昔よりも気をつかう関係にはなってきてるけど、今もなんだかんだときどき会って、これからも続いていったらいいなーと思うのは、たぶん高校時代の短いようで長かった時間の中で、無駄なことを一緒にして、無駄なこと話して、バカみたいに泣いたり笑ったりした時間があったからなんだろうな。 それがわたしには高校時代だったけど、幼少期の人もいれば、小・中学校の人もいるのは自分にフィットするタイミングみたいなものが人それぞれちがうということなのかな。  大学時代も数は少ないけど友だちはできて、今でもときどきごはん行ったり、高校時代とはちがう温度で、どっちがいいとかいうわけでもなく付き合えているのかなーという感覚がある。 特に寮で一緒に暮らした友だちに対しては、今考えるとぞっとするくらいの自己中な振る舞いしてたにも関わらず、いいことも悪いことも今でも全部受け入れてくれて、その子にはちょっと口にするのも憚られるような出来事も恥ずかしがらずに言えたりする。 映画美学校時代の同期たちはどちらかというと「仲間!」という意識が強くて、「俺たちは仲間であって、友だちとはちょっと違う」なんて話をお酒飲みながらだれかが語り出したりする。 バイト仲間や先輩とは今でもときどき連絡取り合ったり、映画を手伝ってもらったりすることもある。 その人に対してじゃないとこうは話せないって内容とか、空気もある。 そのどこからどこまでが友だちで、どこからどこまでが仲間で、知り合いなのかなんて線引きはほんとうに難しいことだと思う。 なにからなにまで話してなきゃ友だちじゃないとか、 何ヶ月に一回会ってなきゃ友だちじゃないとかそんなことはないわけで、 人生のなかのそれぞれのタイミングや波長で、距離が近づいたり、離れたりする。 ときどき聞くのが 「社会人になって、お互いにメリットないとわざわざ人に会おうとは思わない」 という言葉。正直わたしも思うことはよくある。 人によってその「メリット」という言葉の響きはちがって聞こえる。 わたしにとっては「お金」とか「地位」とかではなくて、たがいに違いがあってもそこを乗り越えて尊重しあえるかとか、ある程度まで正直になれて、そこで共有できるものが「メリット」なのかなーなんて考えている。 もちろんそうじゃなくて本当にわかりやすいメリットがあるから人と会う機会もたくさんある。 仕事関係とか、この人面白そうだなとか、繋がっとくとあとあといいかなーとか。 でもそれは友だちじゃない。少なくともそう思って会っている間には。 本の中でこんな言葉がある。 「友だちというものはお金になるわけでもなく、社会的地位向上に役立つものでもない。もしそのように友人を利用したら、 それは友情とは別のものである。結果として友人があたえてくれるさまざまな目に見えるもの見えないものがあったとしても、決してそれが目的ではない。」 ときどき自分に自信がなくなったとき、「あーでも自分にはこんなにいい友だちいるから捨てたもんじゃないな」って考える。 自己中でどうしようもない人間だけど、でも見放さずに会ってくれたり長電話付き合ってくれたりして、 いつか自分がもっと周りの人にいいこと、いいものを与えられる人間になれたらいいなーって思うけど、 この先つまずいたり、とっちらかったりして迷惑しかかけられなくても、友だちだって言ってくれる人がそばにいてくれる人間でいないとだめだなーとも思う。  「あんまり大切に思っていなかった」友だちがけがをして入院したとき、絶対に死なないで。と涙があふれてきたことに対して佐野さんはこう語っている。 「この人は、私のばかなところ、だめなところ、いやなところ、くだらないところを引き受けてくれていたのだ。この人がいなかったら、私のいやなところ、くだらないところは行き場を失って、私の中にあふれ返って生きてはいけなかったのだ。立派な尊敬にあたいする友人だけを持っていたら、私はなんと貧しい土に生きている生き物だっただろう。二人で過ごしたおびただしい無駄な時の流れ、その無駄を吸い上げて、私たちは生きてきた。」 名文.........!!!!!  友だちとはなにか、その定義は難しいけど考えさせられる一文。  というわけでまとまってないかもしれないけど、佐野洋子さんの『友だちは無駄である』とそれにまつわる考えあれこれに対してはこの名文でしめたいと思います。  気になった方はぜひぽちってみてください。 https://www.amazon.co.jp/友だちは無駄である-ちくま文庫-佐野-洋子/dp/4480423095  『友だちについて』、終わりか?って思ったあなた、残念でした。まだ続きます。  次回は河合隼雄先生の『大人の友情』(朝日文庫・2008)をテーマに。 2冊交えようかとも思ったのですが、ブログ力ゼロの今そんなことすると収集つかなくなるかなと思ったので、ちょっとかぶったり、戻ってみたりする可能性は大だけど、最初いろいろ友だちってなんだよ!!って思った時期のことを回収しつつ、「大人の友情」に焦点をあてて考えてみようと思います。  いやーしかしブログって勉強になるね。今は時間かかり過ぎたわりに大したこと書けてないけど、 もっとおもしろく書けるように精進します......!!実践あるのみ!!!  目指すは『JUNO』の脚本家でアカデミー賞脚本賞受賞のDiablo ...
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