評価を受けること

ここ一年くらい、SNSでは繋がっている友人や知り合いに久しぶりに会ったりすると、
「活躍してるね!」なんて言ってもらえて、ありがたいな〜と思う一方で自分の実感とはかけ離れていてリアクションに困ることがある。

 

『ヴェルニ』を完成させた後の一年は、46分の中編という尺の微妙さで応募できる映画祭は限られていたものの、とにかく応募しまくった結果どこにも引っかからなかった。(昨年にありがたいことにふたつの映画祭で上映、受賞となったのですが)

 

当時はひとつひとつの結果に落ち込んでいたし、学校の修了制作ではあったけれどいろんな人に大したお礼もできず協力してもらったので、良い子ぶるわけではなくただただ申し訳ないのと自分への不甲斐なさもあって、その後なかなか次の映画へ気持ちが向かわなかった。

 

今考えれば初めて撮ったのになに言ってんだ、大事なのはそこじゃないだろうと思うけれど、当時25歳、きっと自意識が高すぎたのでしょう。

 

そして『いとしいひと』は予算、規模や尺も区切った中でさあなにをやろう、という感じで撮ったので撮影時以外はそこまでプレッシャーもなく完成させたのですが、結果的にいくつか映画祭で上映してもらったり賞をもらえたり、自分で上映イベントを開催できたりして、普段FBにあまり書き込まないわたしもちょくちょく投稿する機会が増えたので、わかりやすく「活躍している」ように見えたのだと思う。

 

がしかし、その裏には入選できた数の数倍の映画祭に落選しているし、その過程でけちょんけちょんに言われたりもしているので「活躍している」という言葉につい「いやいやそんなことはないんですよ」と自虐なのか自衛なのか反応してしまったりしていた。

がしかしそれって相手も困るよな、と思うし最近はもっと素直に喜んでいいことなのに卑屈すぎるんじゃないかと、ただ「ありがとう」と返すようにしている。

 

 

最近もとある選考(調べればわかるけどなんとなく伏せておきます…笑)に脚本を応募して一次審査は通ったものの二次審査で落選してしまい、そこで評価されるということについて自分がどう向き合い、どう向き合わないかについて考えてみたり。

課題の上映で自分がやらかした……!という自覚があったので、悔しくはあるけど割と気持ちの切り替えは早かった。
(とはいえ当日は落ち込みすぎて、帰り道に寄ったはじめてのGINZA SIXを挙動不審に歩き回っていたけれど)

 

最近はこういうことにも昔よりは慣れて、いや慣れというよりは一喜一憂してると身が持たないからある程度落ち込んだらどうにか回復させようと自分をあげていこうとするクセがついた。

 

映画だけじゃないと思うけど、

「作品を評価される=自分の根底を評価される」

という感覚があって、例えば学校の成績、仕事の達成度とかとはまるで別物な打撃があります。
(だからといって学校、仕事よりも映画のほうが偉いとかそういうことではないです)

 

もちろん評価されるために映画を撮っているわけではないし、やりたいことがあって、表現したいなにかがあって撮っているけれど、それがちゃんと自分が思ったように表現できているのか、他者に響いているのか、そしてそもそも面白いのかというのはどうやったって他者の目に委ねるところが大きく、意識せざるをえない。

 

いいこともそうじゃないことでも、自分の糧になることを言ってくれる人はいるし、
中には自分を高みに置いてただディスりたいだけだったり、お門違いのことを言ってくる人もいるので、
どこまで人の意見や評価を取り入れ、無視するかはとにかく続けていかないと見極めはむずかしいのかもしれない。

 

ただあまりに気にしすぎるともう次に向かえなくなってやめてしまったり、他人の目が気になって人間不信やうつっぽくなってしまったりするので、人から高ダメージなことを言われたときは信頼できる自分の味方とお酒飲みながら言ってきた人を罵倒したりして忘れてしまえばいいと思う。

 

最近、活躍してる40代のディレクターの人に

「人から悪い評価を受けたときどうしてますか?」って質問したら、

「めちゃくちゃ落ち込むけど、スナックでカラオケして忘れる」と言っていた。

 

きっとわたしも少しずつ浮上させる術を装備していっても、揺るがない経験を積んでも、「評価を気にしない」という日はそうそうやってこないんじゃないかな。

 

お酒を飲んでも、思いきり歌っても、美味しいもの食べても、なかなか完全には忘れられないし、
次なにかやるときにそれを一瞬思い出して、それを回避しようとしてもいいし、また同じ方法を試みてもいいし自分で考え行動することが重要なのかな、なんて思います。

 

こういう話題になると人はついつい答えとか解決方法がほしくなって、

「人と自分を比べない」「他者軸で生きない」

とかいう最近流行りの言葉についつい熱をあげてしまったりする。

私もnaverまとめで悩みを検索→名言で自分を鼓舞!というお決まりルーティーンを何度繰り返したことでしょう……。(遠い目)

 

個人的に『嫌われる勇気』ダイアモンド社 岸見 一郎 (著), 古賀 史健 (著)

は落ち込んだときにときどき読んだりしていてそういう考え方はきらいじゃない、むしろそりゃできればいいなと思いはするがあまりにもハードルが高いのが現実。

だってちょっとしたことで日々人を羨んだり嫉妬したり、それを隠そうとしてかっこつけたりしてスベったり……。

現代の日本、さらに東京で生きていくにはなかなかの難易度。

ましてや根暗+プライド高い(周囲評)わたしには夢のまたはるか先の夢……もはや幻…!?

 

そんな理想は高く掲げつつも、日々突きつけられる人からの評価、他者との比較に毎度悩みながらも試行錯誤しながらやっていって、遠くない未来に「ぶれないなにか」が根っこにできて、多少は周囲に左右されながらも本質や自分が実現したいことは揺らがないようにできたらいいな。

「比べない」って決めちゃうとそれができないときに自分を責めてしまうから、遠く上の方に置いておけばいいと思う。

 

これは勝手な被害妄想かもしれないけど、自主映画やってて評価云々について悩んでたりするの口に出しづらいなと思っていたので(特に監督やってる人には)書いてみました。

 

久しぶりで全然まとまってないですが、読んでくれてありがとう!

 

 

おわり。

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